「スペースを確保する」シェファリ博士カンファレンスinL.A.その4
癒しと目覚めの透視セラピスト ママと子どもの「魂が元気になる子育て」サポーター
たかもり くみこ です。
今日は、朝から英語コーチングセッション、コンサルセッションを
受けていました。そして、午後は、自分へのご褒美の時間。
カンファレンスから帰国後、ビジョンや、イメージとして受け取っていたものが、
ここ数日で、統合され、新たな形で見えてきました。
大好きな友人に体のケアをお願いした、ご褒美の時間も、そのビジョンを
さらにempowerしてくれるメッセージ。
これからが、楽しみです。
さて、今日はシェファリ博士カンファレンスinL.A.のシェアの続き。
*「スペースを確保する」
って、これだけだと、わかりにくいですね。
これは、私が、以前「子どものエネルギーに踏み込まない」
https://ameblo.jp/treeofluce/entry-12273364131.html
という記事にも書いたこととも共通しますが、
子ども自身、自分自身でいられる空間、時間を確保する、
ということ。
大きくなるにつれて、自分の自由に過ごせる時間が少なくなりがちです。
習い事など、何か「しなくてはならない」、
そのやり方で「しなくてはいけない」ことが増えれば増えるほど、
その子自身でいられる”スペース”は、減っていることになります。
そうしているうちに「自分自身」が何を感じていたのか、どうしたかったのか、
少しずつ忘れていっているのかもしれません。
*泣いたり、怒ったり、悲しんだりできること
泣き声、怒っている、しくしく悲しんでいる様子を見守るのは、
結構、しんどい、と感じる方、ことも多いでしょう。
時には、こちらの忍耐が必要とされるように感じることもあるかもしれません。
自分の感情を表すことができる、表していい、表す場がある、ということは、
自分自身でいていい、という許可を与えられているのと同じ。
*泣く、怒る、のは、個人攻撃ではない。
子どもがギャン泣きしている、怒りをぶつけてくる、ときに、私たちが
思いがちなのは、自分への攻撃、自分の否定、のように感じること。
「自分がダメな母親だから、この子はこうなっちゃうんだ・・」
「私が、しっかりしてないから、この子もこうやって泣いてばかりいるんだ・・」
「この子がこうなのは、私のせいだ・・」etc.
私も、よくそう感じてしまって、自分への攻撃や否定と感じれば感じるほど、
泣き声や、怒っている子どもを、なんとかなだめよう、ストップさせようと
必死になっていたことを思い出します。
けれども、結局はますますこじれるばかり。最後は、こちらがキレて、
怒鳴りつけて(汗)見捨てるようなセリフを吐いて、さらにギャン泣きされて終わるか、
似たような、悲惨な結末を繰り返す、、、
つくづく自分は、母親に向いてない、、と泣きながら眠った子どもの寝顔を見ながら、
謝り、反省をする毎日だったことを、今は懐かしく思い出します。
とはいえ、思春期、反抗期の子どもも相当手強いです笑
ただ、様々な癒しや、学び、気づきを経て、
怒っている彼ら、そして他の小さなお子さんや赤ちゃんが、
泣いたり、怒ったりしているのを見ても、
*「怒りたいんだなー」「泣きたいんだよねー」と自分と切り離して見守れるようになった。
シェファリ博士も、「detachment」(分離)ということを言っていました。
自分の痛みと、子ども(相手)の言動は、別のものだと。
*大切な友人が、泣いている時、そっと見守るように。
子どもが泣きたい時に、泣いていい「スペースを与える」
怒りたい時に、怒りを表せる「スペースを確保する」。
大切な友人が、そうしているのを見たら、きっとその姿を温かく見守ってあげるように。
*それでも、心穏やかに見守れないとしたら・・・
そこには、自分自身の痛みが相当ある、ということです。
例えば、「自分が泣いていると、母親か父親にひどく叱られた」
「勉強や習い事をしないで、遊んでいたら、一方的に怒られた」
「怒っていたら、無理やり黙らされた」etc
といった痛みがあると、子どもの自由な言動に、自分が反応してしまうのは、
無理のないことでしょう。
*まずは、自分の痛みを認識すること
認識することから、道が開けます。認識し、自分の痛みと分離できれば、
かき乱されることもぐっと減るはずです。
「スペースを確保する」いかがでしたか?
子ども自身でいる、自分自身でいる、時間と空間をできるだけ確保できますように。